毛利 秀頼 (モウリ ヒデヨリ)1593年
出身地尾張国。織田→豊臣。尾張守護斯波義統の子。織田家赤母衣衆出身。赤母衣衆ができる以前より織田家に仕え桶狭間の戦いで活躍。その後も織田家主要な戦いに転戦した。武田家滅亡後に、信濃飯田城にて城主になるも本能寺の変により城は放棄し尾張へ戻った。その後は豊臣秀吉に仕え、小牧長久手の戦い、九州征伐、小田原征伐にも参戦し、再び信濃飯田城城主となった。
千葉 親胤 (チバ チカタネ)1557年
出身地下総国。千葉家26代当主。6歳にして家督を継ぐ。親北条の家臣が家中の実権を握っており、元服後も力を持ち続けたことに不満を持ち、反北条の勢力と友好関係を築くも、北条より攻められ降伏。幽閉の末暗殺された。
水野 忠重 (ミズノ タダシゲ)1600年
出身地尾張国。織田→徳川→織田(信忠→信雄)→徳川。姉、於大の方が松平広忠の正室でかつ家康を生んだため、徳川家康の実の叔父にあたる。織田家に仕える兄信元に従うも、関係の悪化から徳川家に仕える。1580年に謀反を疑われ織田家に自害させられた兄信元が冤罪であることがわかると、信長の命により水野家の家督を継ぎ織田家の家臣となり、信忠に付き従った。本能寺の変が起こり、信忠が亡くなると織田信雄に仕えるようになった。信雄が秀吉の臣下になった際は、信雄ではなく秀吉の直臣となり、長年の武功もあいまって伊勢神戸城、のちに旧領三河刈谷城を治めた。