1540年生まれの武将 02

成松 信勝 (ナリマツ ノブカツ)1584年

出身地肥前国。龍造寺家家臣。龍造寺四天王の一人。大友家との今山の戦いでは目覚ましい活躍をし、大友宗麟の男親貞を討ち取った。沖田畷の戦いで主君龍造寺隆信と共に討死した。

丸目 長恵 (マルメ ナガヨシ)1629年

出身地肥後国。相良家家臣。京にて上泉信綱に師事し新陰流を学んだ。相良家に戻ったが、将としては相良家に貢献できなかった。しかし、兵法、剣術に研鑽をつみ「タイ捨流」をあみだし、剣術指南をするようになった。相良家にとどまらず九州において高く評価され、立花宗茂、鍋島直茂なども学んだと言われている。

 

 

1540年生まれの武将 01

小浜 景隆 (オハマ カゲタカ)1597年

出身地志摩国。北畠→武田→徳川。北畠家にて海賊衆の頭領であったが、織田家との戦いで敗れた。武田信玄が駿河侵攻し、水軍を創るために呼ばれ、武田家に仕えるようになった。武田家の滅亡後は徳川家康に仕えるようになり、海戦を中心に活躍した。

樺山 忠助 (カバヤマ タダスケ)1609年

出身地薩摩国?大隅国?。島津家家臣。島津家随一の和歌の詠み手である樺山善久の次男。犬追物の名手。大友家との戦などで功をあげた。

木曾 義昌 (キソ ヨシマサ)死去年不明

出身地信濃国。武田→織田→北条→徳川→豊臣→徳川。武田家の信濃侵攻に降伏し、美濃、飛騨の境目の重要拠点でもあり、信玄の娘を正室として迎えている。しかし、国境の重要拠点であることに加え、木材等の資源が豊富でもあり、武田衰退後は織田、北条、徳川、豊臣、徳川と主君を変えていった。徳川家の関東転封に伴い下総国阿知戸に移った。

島 清興 (シマ キヨオキ)1600年

出身地大和国。筒井→蒲生→石田。島左近として有名。石田三成に過ぎたるもの評されるほどの人物。筒井家をよく支え活躍したが、筒井順慶が死に定次が跡を継いだ後筒井家を離れる。その後、石田三成仕え、関ヶ原の戦いでは獅子奮迅の戦いぶりを見せた。

豊臣 秀長 (トヨトミ ヒデナガ)1591年

出身地尾張国。豊臣秀吉の弟として兄をよく支えた。温和な性格で、秀吉が天下人になった後は、調整役として機能したが、秀吉より7年も早く亡くなった。蜂須賀政勝と言った古参の将もすでに亡くなっており、秀吉に諫言できるような存在もおらず、豊臣政権の弱体化に繋がった。