北条 氏繁 (ホウジョウ ウジシゲ)1578年
出身地相模国。北条家家臣。地黄八幡と恐れられた北条綱成の嫡男で家督を相続。父綱成が2代当主北条氏綱の娘を正室にしたのと同様に3代氏康の娘を正室に迎えた。玉縄城での籠城戦や里見との合戦(第二次国府台)などで活躍した。また東北地方への外交も担っており、高い交渉力があったと言われる。
真柄 直隆 (マガラ ナオタカ)1570年
出身地越前国。朝倉家家臣。越前国の有力国人の1人。姉川の戦いでは朝倉家は敗れるものの、愛刀千代鶴国安を手に朝倉軍と対峙していた徳川軍の陣深くまで切り込んだものの、討死する。
三沢 為清 (ミサワ タメキヨ)1588年
出身地出雲国。尼子→大内→毛利。出雲国の国人で、尼子、大内の二代勢力に挟まれていのたが上手く立ち回った。その後、同様に国人でありながら、勢力を拡大していった、毛利元就に従うようになり、主に吉川元春の軍に編成された。
三好 政勝 (ミヨシ マサカツ)1632年
出身地摂津国?。細川→三好→織田→豊臣→徳川。三好家傍流の三好政長の子。織田家の京、畿内への進出に反発するも後に降伏。本能寺の変後は豊臣家に仕えた。関ヶ原の戦いでは東軍に属し、徳川秀忠に追従し、大坂の陣においても功があったといわれる。最終的に秀忠の御咄衆にとなった。