浅井 長政 (アザイ ナガマサ)1573年
出身地近江国。浅井家3代当主。浅井久政の長男。父久政が六角家に対し従属的かつ独立および領土拡大において消極策をとっていた。その姿勢に不満を持つ家臣らを味方につけ野良田の戦いで六角家を破り実力をつけ独立。妻に織田信長の妹のお市の方を貰い、信長の上洛を助けた。信長の信頼も高かったが、祖父亮政の時代より友好関係のある朝倉家に信長が進軍したのをきっかけに、織田家と対立。姉川の戦い信長包囲網を利用しながら抵抗する。しかし、武田信玄が急死、朝倉家の滅亡により信長包囲網も弱まり、本拠地小谷城にて自害した。
野良田の戦い(1560年)
近江野良田(滋賀県彦根市野良田町、肥田町)で起こったっ合戦。浅井長政兵数11000人。六角義賢25000人。浅井長政はこの戦いの勝利により北近江での浅井家の力を明確にし、六角家との従属関係を解消した
浅井亮政 1491年~1542年 元は北近江国人であったが、北近江守護京極家のお家騒動などによる弱体があり、北近江を支配するようになった。
浅井久政 1526年~1573年 浅井家2代目当主。亮政のあとを継いで浅井家当主になる。しかし、亮政の時代にような勢力を保てず、六角家に従属する形となり、長男、長政により隠居するに至った。