奥平 定能 (オクダイラ サダヨシ)1599年
出身地三河国。今川→徳川→武田→徳川。奥三河の国人。幼少期は今川義元への人質として生活する。今川義元が桶狭間の戦いで死に、今川家の求心力が低下した後は徳川家康の家臣となる。武田信玄の三河侵攻で、一時武田家に仕えるようになるも、その後、再度徳川家に臣従した。
加藤 光泰 (カトウ ミツヤス)1593年
出身地美濃国。斎藤→織田(豊臣)。初めは美濃斎藤家に仕えるも斎藤家が滅んだ後は近江国にて浪人となるも豊臣秀吉の家臣となる。浅井家との戦いや、三木城、山崎の戦い、賤ヶ岳の戦いなどに参戦し、功をあげ甲斐国24万石を与えられるようになった。
神代 長良 (クマシロ ナガヨシ)1581年
出身地肥前国。少弐→大友→龍造寺。主家たる少弐家が大内、龍造寺勢力に囲まれ衰退していく。長良自身も龍造寺家に城を奪われ、大友家を頼り、龍造寺と戦うも、後に龍造寺家家臣となる。
三枝 昌貞 (サエグサ マササダ)1575年
出身地甲斐国。武田家家臣。武田の赤備えの山県昌景の娘を正室に迎える。主に山県の寄騎として武田家の戦を転戦する。長篠の戦いにおいて討死する。
真田 信綱 (サナダ ノブツナ)1575年
出身地信濃国。武田家家臣。父幸隆が信濃の国人であったが武田信玄に仕えるようになると幼くして信玄の近侍として働いた。武勇も高く、日本屈指の山岳戦である三増峠の戦いでは殿をつとめ、三方ヶ原の戦いでも活躍した。長篠の戦いでも奮戦をし敵陣まで迫るも討死する。家督は弟昌幸が継いだ。