徳山 則秀 (トクヤマ ノリヒデ)1606年
出身地美濃国。斎藤→織田→豊臣(丹羽、前田)→徳川。初めは斎藤家に仕えていたと言われるが、のちに織田家に仕えて、柴田勝家の元で活躍した。豊臣秀吉に勝家が敗れると丹羽長秀に、丹羽家減封により、前田家に仕えるようになった。徳川家康に仕えた。
延沢 満延 (ノベサワ ミツノブ)1591年
出身地出羽国。最上家家臣。初めは最上八楯の天童家に仕え、高い武勇を誇っていたが、最上義光の調略により義光の家臣となった。
山田 有信 (ヤマダ アリノブ)1609年
出身地薩摩国。島津家家臣。島津家の家老。島津家15代当主貴久に近侍した。伊東家との戦いや耳川の戦い、九州征伐時の籠城などでも活躍した。忠誠心も高く、九州征伐時の籠城では島津義久がすでに降伏しており、義久からの降伏を勧められて、初めて降伏するに至った。
山田 宗昌 (ヤマダ ムネマサ)1620年
出身地日向国。伊東家家臣。北郷家や島津(豊州)との戦いで武功を上げた。また、主君が伊予国に逃れた際も九州に残り、大友家家臣佐伯惟定の客分武将として活躍し、島津の軍勢を退けたという。その後島津家や大友家からの高禄での誘いを断り、豊臣秀吉により伊東家の大名復帰が叶うと、家臣として働いた。
島津家久からも高く評価されており、恐れられたとの話がある。