1544年生まれの武将 02

伊達 輝宗 (ダテ テルムネ)1585年

出身地陸奥国。伊達家16代当主。伊達晴宗の次男。祖父稙宗により拡大した伊達家であったが、稙宗、晴宗との父子での対立から天文の乱が起こり、最上、相馬といった一度は従属させた勢力が力を持ち奥州内での権威は落ちていた。稙宗、晴宗が争ったように、輝宗は隠居した晴宗が実権を掌握していることに不満があり、対立したが家中を掌握。上杉、蘆名、佐竹等周辺の大名だけでなく織田、北条といった大名とも精力的に外交関係をもち、利用しながら勢力拡大を、行なった。祖父稙宗に匹敵する勢力にもなり、大きな影響力をもったが、伊達家二代に渡る教訓からか早々に隠居した。その後畠山義継の謀にはまり、人質とされたが、生き恥をさらすことを良しとせず、家臣に自分もろとも撃つ様にいい放ち、畠山吉継らとともに亡くなった。

東禅寺 義長 (トウゼンジ ヨシナガ)1544年

出身地出羽国。大宝寺→最上。大宝寺義氏より信を得て義氏の娘を正室として迎えるも、次第に対立し義氏を暗殺した。最上家を後ろ盾とし庄内地方を治めたが、上杉家の支援を受けた大宝寺義勝と十五里ヶ原の戦いで戦うも、軍の中に内通者がいたこともあり、敗れ討死した。

 

 

 

 

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