1544年生まれの武将 01

小貫 頼久 (オヌキ ヨリヒサ)1603年

出身地常陸国。佐竹家家臣。主家佐竹家が対北条の姿勢を貫く中で外交面で大きく活躍し、上杉謙信、武田信玄などと交渉した。関ヶ原の戦いの後、佐竹家が出羽国久保田へと減封されるも、付き従った。

相良 義陽 (サガラ ヨシヒ)1581年

出身地肥後国。相良家18代当主。相良晴広の長男。肥後国南部の人吉城を拠点とし、島津、大友のといった実力者を相手に上手く立ち回った。島津家の勢力拡大にともない島津家に従うようになった。島津家からの要請により不戦を約していた阿蘇家領地に侵入するも甲斐親直の奇襲により討死。その死は敵味方共に惜しまれたと言われる。

竹中 重治 (タケナカ シゲハル)1579年

出身地美濃国。斎藤→織田(豊臣)。黒田如水と並び評される、豊臣秀吉の軍師。初めは斎藤家に仕えるも、主君龍興との不仲から出奔。浪人中、秀吉から三顧の礼で向かい入れられた。生きている間は秀吉の多くの戦いに参戦し勝利に導いたと言われる。稲葉山城を少ない人数で奪い取ったという話や黒田如水が荒木村重のこもる有岡城に説得に行ったが帰ってこず、信長から裏切ったとみなされ、人質を殺すように言われるも、裏切ったことを信じず密かに匿ったという話が残っている。

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