1543年生まれの武将 02

滝川 雄利 (タキガワ カツトシ)1610年

出身地伊勢国。北畠→織田→豊臣→徳川。木造家の子であったが、織田家と北畠家の戦いで滝川一益から気に入られ、滝川の名を貰う。織田信雄の家老となり小牧長久手の戦いでも秀吉の調略を受けたが、拒否し信雄を支えた。信雄もそれに応え、家中一の高禄を与えられている。関ヶ原では西軍についたため、改易されたが、後に常陸国片野にて大名に復帰している。

里見 義頼 (サトミ ヨシヨリ)1587年

出身地安房国。里見家7代当主。前当主義弘の子であり後継とされていた梅王丸(義重)との家督争いを経て里見家当主となる。里見家が一時、北条家との友好関係の構築を図るも、やがて破綻し関係は悪化していく。その中で戦だけではなく武田家、佐竹家との同盟や豊臣秀吉との友好関係の構築もを図り成果をあげ家を守った。

真田 昌輝 (サナダ マサテル)1575年

出身地信濃国。武田家家臣。真田幸隆の三男。幼くして武田信玄に近侍しており、各地を転戦した。特に北条家を相手にした本格的な山岳戦として有名な三増峠の戦いでは、内藤昌豊とともに殿を引き受け見事に勤め上げた。長篠の戦いでは奮闘するものの、兄信綱と共に討死する。

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