一条 兼定 (イチジョウ カネサダ)1585年
出身地土佐国。五摂家の一条家の分家の一つで、土佐一条家5代当主。キリスト教の洗礼を受けている。長宗我部元親の台頭により弱体して行き、滅亡した。側室に大友宗麟の娘がいることもあり、豊後国に逃れた。正室宇都宮家の縁や大友家の力を借りて土佐を取り戻そうとするも成功しなかった。
織田 信包 (オダ ノブカネ)1614年
出身地尾張国。織田→豊臣。織田信秀の子で、信長の弟。信長の命により伊勢長野氏に養子入りするも、織田家に戻る。本能寺の変で信長が亡くなると豊臣秀吉に仕えるようになり、伊勢国にて15万石を与えられた。その後減封や関ケ原の戦いで西軍につくなどはあったが、大名として残った。
香宗我部 親泰 (コウソカベ チカヤス)1593年
出身地土佐国。長宗我部家家臣。長宗我部国親の三男で元親、吉良親貞の弟で香宗我部家の養子となる。兄元親と共に各地を転戦し、また外交面においても大きく活躍した。武勇に秀でた兄吉良親貞が早くに亡くなっていたこともあり、文武にわたって活躍したが、元親より6年も早く亡くなった。元親が戸次川の戦いで長男信親を失ってから精彩を欠いており、親泰の死によりいよいよ歯止めがかからなくなり、長宗我部家のより衰退していった。