1542年生まれの武将 03

服部 正成 (ハットリ マサナリ)1597年

出身地三河国。徳川家家臣。服部半蔵として知られる。伊賀忍者としての知名度が高いが父保長が伊賀忍者の出自であり、徳川家伊賀甲賀忍者との協力関係を築く橋渡しをしたが忍びではないとされている。本能寺の変では堺に滞在していた徳川家康を三河に帰すことに貢献し、その後も伊賀甲賀のまとめ役をしながら、小牧長久手の戦い、小田原征伐と功をあげた。

林崎 重信 (ハヤシザキ シゲノブ)1621年

出身地出羽国。林崎甚助として知られる。居合術、神夢想林崎流の流祖。最上家の楯岡城で東根刑部大夫より武術を学んだ。また、塚原卜伝からも鹿島新當流を学んだともいわれる。父の敵討ちを果たしたのちは諸国を放浪しながら武術の指南をしていたが、加藤清正に招かれ、加藤家にて指南をするようのなったが晩年は諸国放浪の末、出羽に戻ったともいわれる。

平岩 親吉 (ヒライワ チカヨシ)1612年

出身地三河国。徳川家家臣。徳川家康の今川家の人質時代から付き従う。家康の信頼も厚く、長男信康の傅役となる。長年の功もあり家康が関東に転封された際は厩橋に領地を与えられた。関ヶ原の戦いのちは甲府に領地を与えられ、義直が甲斐に移ると幼い徳川義直に代わり甲斐国を治め、義直が尾張藩主となるとそれに付き従い犬山に移った。非常に実直な将として知られ、長男信康の傅役、義直の附家老になったことからも伺える。

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