九鬼 嘉隆 (クキ ヨシタカ)1600年
出身地志摩国。織田(信長)→織田(信雄)→豊臣。滝川一益の仲介で織田家に仕えるようになり、主に水軍を率いた。毛利水軍に織田水軍が大敗したのを受けて焙烙玉や火矢への対応として鉄甲船を建造し毛利水軍を破った。信長の死後は信雄に仕えるも、小牧長久手の戦いで豊臣家に寝返った。その後も水軍を駆使して活躍したが、関ヶ原の戦いで西軍についたため、自害した。また、息子守隆は東軍についたため九鬼家は残った。
九戸 実親 (クノヘ サネチカ)1591年
出身地陸奥国。南部家家臣。石川信直(南部信直)との家督争いに敗れる。その後、九戸政実の乱で兄と共に殺された。
中川 清秀 (ナカガワ キヨヒデ)1583年
出身地摂津国。摂津池田→織田→豊臣。荒木村重同様、摂津池田家の家臣であったが織田家に仕えるようになり、荒木村重に従った。荒木村重が織田家を裏切ると最初は村重に従い戦ったが、降伏し織田家の将として各地を転戦する。本能寺の変後は豊臣家に仕えたが、賤ヶ岳の戦いで討死した。
成田 氏長 (ナリタ ウジナガ)1596年
出身地武蔵国。上杉(謙信)→北条→蒲生→豊臣。武蔵国忍城城主。上杉、北条の境目であったため立場として安定していなかったが、上杉北条間で同盟が結ばれると北条家家臣となった。小田原征伐の後、北条家の滅亡に伴い、蒲生氏郷に仕えるようになるが、娘甲斐姫が秀吉の側室になった縁により大名になる。