1539年生まれの武将 01

安東 愛季 (アンドウ チカスエ)1587年

出身地出羽国。安東家当主。長らく分裂していた安東家をまとめ、勢力を拡大。南部家、大宝寺家などと争った。また、交易、商業に関しても積極的で東北屈指の港湾都市を作り上げた。

小山田 信茂 (オヤマダ ノブシゲ)1582年

出身地甲斐国。武田家家臣。甲斐の有力国人として武田家に従う。小山田信有の死後、家督を継いだ。川中島の戦い、駿河侵攻、長篠の戦いなどにも参戦している。しかし、甲州征伐により、勝頼が頼ってきた際は拒絶し、織田家への臣従を謀るも武田家への不忠を理由に処刑された。

長宗我部 元親 (チョウソカベ モトチカ)1599年

出身地土佐国。長宗我部家21代当主。長宗我部国親の長男として生まれ、若き日は「姫若子」と呼ばれ初陣で功をあげ、その勇猛さから鬼若子と呼ばれ、土佐の国人から土佐一国をまとめ、四国の大半を統べるようになると、出来人と呼ばれ評価された。敵対勢力である本山家、大恩ある一条家を降した。織田家が力を強めると、時勢を読み、長男千雄丸の烏帽子親を信長に依頼することで友好関係を築いた。豊臣秀吉が信長亡き後、勢力を拡大していくも反抗し敗れ土佐一国への大幅な減封となる。その後、九州征伐に先んじて、大友家への援軍として参戦するも、戸次川の戦いで長男信親が討死にする程の惨敗をする。元親の失望はあまりに大きく、以前とは人が変わってしまったと言われる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。