九戸 政実 (クノヘ マサザネ)1591年
出身地陸中国。南部家家臣。南部24代当主、南部晴政の領土拡大に大きく貢献した。しかし、南部晴政が死に、後継者である晴継が暗殺されると、25代当主となる南部信直と対立。この対立は根深く、奥州仕置の後であるにも関わらず挙兵する。信直は南部家のみで対処することは難しいと考えて、秀吉に九戸家討伐の要請をする。10倍以上の兵に囲まれ、間もなく降伏。斬首される。
佐々 成政 (サッサ ナリマサ)1588年
出身地尾張国。織田→柴田→豊臣。織田家精鋭の黒母衣衆に名を連ねる。鉄砲の運用に長けており、織田家の主たる合戦に参戦。織田家が越前国を得た後は柴田勝家の与力として活躍する。本能寺の変後は、上杉家に対する抑えとして働いた。賤ヶ岳の戦いで勝家が敗れると降伏するも、小牧・長久手の戦いでは徳川家康、織田信雄側に立ち、豊臣家と戦い、再度降伏し、大幅な減封を受け入れる。後に肥後一国を任されるも肥後国人一揆が起こり、この責任をとり切腹した。
南光坊 天海 (ナンコウボウ テンカイ)1643年
出身地陸奥国。天台宗の僧にして、家康の側近。各地の寺々を転々とし、学を高め、武田信玄、蘆名盛氏ら名将に評価され、一時は彼らの領地にて定住する。その後関東の寺で住職を務め、徳川家康の側近相談役的立場となる。